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この世の中は (有難いことに) 非暴力を推し進めていて, つまり有形力の行使無くして生存することができる.
しかし人間は闘争を求める ... というと茶化しいが, 要するに異なる何かしらの方法で生存ヒエラルキーを構築できる必要がある.
それが近年においては論争, 文字や言葉による闘争である.
論理は相手の主張をへし折り, 情緒的な思いを破壊し, 相手の "存在" という心臓を止めるために最大限機能する.
現代は確かに非暴力の時代 ... こと先進国においてはそうだし, 先進国に先進的な生を受けたものは特にそうなのだが, その彼らが穏当で平和的な生を歩んでいるのかと言われると, 全くそんなことはない.
拳を使わずに相手を所構わず殴り, 時には声も知らぬ誰かを通りすがりに殴り, 顔も見知った人もまた殴り, 今日も殴り, 明日も殴る.
そうして人間の内なる暴力性を発露しながら, 時に人を蹴落とし, 或いは引き摺り下ろされ, ヒエラルキーの構築に勤しんでいるのだが, それらが往々に理不尽さを孕んでいると, どれだけの人が理解しているかは定かではない.